内向型人間が色々考える

30歳色々悩み中。内向型・ミニマリスト・デザイナー&エンジニア。

燃え尽き症候群(バーンアウト)に至るまでの経緯まとめ。

こんにちは。metaです。

 

先日初エントリとして以下のような記事を投稿しました。

minimal-ism.hatenablog.com

 

ネットに色々情報があったおかげで、今は結構落ち着きました。

ひとまず「こうなっちゃうまでの経緯」「どうやって落ち着けたか」を、人生単位で、自分なりにまとめてみました。

長ったらしいので目次で適宜スキップしてもらえればと思います。

目次

 

とにかく「普通」になりたかった学生時代

だいぶ遡りますが、私は小学校〜高校まで、俗に言う空気が読めないタイプのオタクな子どもでした。物心付く前から落書き帳に線を引き人間を描き、誰に教えられるでもなく漫画っぽいものを描いていた筋金入りのオタクです。

当時、理解力が同学年の子どもたちに追いついておらず、また好きなことにしか熱中できず何かと浮いちゃう、ちょっと生きづらいタイプです。

当然のようにいじめだとか何だとか、なにかと目をつけられては傷ついての繰り返しで、自分自身でも、自分の悪いところばかりが目につくようになりました。

高校あたりから、もう自分に自信がなさすぎて傷つくのが怖くて、「いわゆる普通の真人間になりたい」と強く思うようになり、強烈に人目を気にするようになっていきました。
幸い家族や友達に恵まれていたのと、高校で(多少のスクールカーストはあれど)いじめはなくなったので、不登校などにはならず卒業することができました。

大学デビューで得た「空っぽの自分」

父の影響で小学校のころからPCを触っており、技術職に興味があった私は情報系の学科がある大学に進学しました。なんとなく、手に職をつけたいという思いがこの頃からありました。

「とにかく誰からも後ろ指さされたくない」そう思った私は、大学では自分が好きなものをひた隠しにして、服装やメイクも勉強し、私が思い描く「一般人」を目指してました。俗に言う大学デビュー。

この方針は社会人になってからもしばらく続くことになります。とにかく必死だった私は、外枠を必死で固め、自分をさらけ出すことはなく、結果「外側を塗り固めた、中身が空っぽの自分」が出来上がっていくことになります。

外ではこの調子ですが、自分の好きだったものは捨てきれず、家では相変わらず漫画のファンサイトを作ってみたり、イラストを描いたり情報収集したり。孤独なオタク活動に勤しんでいました。それはそれで楽しかったのですが、大学で同じ趣味で盛り上がれるような友達はほぼできませんでした。

外側で人に合わせて振る舞う自分と、内側の自分が違いすぎて、なかなか心を開けなかったように思います。

それまでコミュニケーションをサボってきた分を必死にとりかえすような、訓練の4年間だったように思います。失敗の連続でしたが、就職が決まる頃にはある程度「社会人として振る舞える自分」の基盤を、かろうじて作り上げていました。

「立派な社会人」目指した7年間

大学卒業後はシステムエンジニアとして就職。会社に入ってからはじめの数ヶ月は、新入社員研修で同期と毎日学校に通うように過ごすことになりました。これが今までの学生生活よりも楽しすぎて、青春を取り戻しているような気持ちになりました。

そこで調子づいた私はさらにリア充を目指し、また仕事もそれなりに忙しい日々を過ごします。

ものづくりをするためにエンジニアになったにも関わらず、プログラミングもろくにやらないまま調整と設計、試験に追われ、Officeの使い方とプレゼン、社会人としての立ち回りばかりが上達していく日々でした。大好きだったはずの、絵を描いたり何かを作ることからもどんどん遠ざかってしまいました。

忙殺されている間、自分がそのとき出来ることで精一杯でした。いろんな案件を任され、成長の機会を沢山与えてもらいました。

20代後半、よくある「このままで良いんだっけ?」の自問自答

社会人6年目のころ、そこまで進めていた案件を、人事異動で外れることになります。それなりに忙しく充実した日々は一転、正直(自分にとって)やりがいのない案件を任され、もやもやした日々を過ごしました。

案件はほぼ自分の裁量で進められたため、基本定時に帰るようにしました。時間が出来ることで、思考停止状態だった「自分について」「人生について」など、考えるようになります。

社会人になって必死に作り上げてきた自分。「こういう人に見られたい」という思いとともに、人に合わせて生きてきて、芯がない状態を自覚するようになってきます。

その頃付き合っていた人からプロポーズを受け、結婚も視野に入ってきて、20代も後僅か。自分の中でカウントダウンが始まったような、切羽詰まった心持ちになったことを覚えています。

今後の人生、どのような方針にするか?今でもまだ答えは出ていませんが、ひとつ思っているのは「自分にとって楽しい」人生にしたいということ。

じゃあ楽しいこととは何か?現状わかっている範囲では、「何か自分の手で作り出し視覚的に表現できること、情報技術が絡んでいること」。それを一生涯ずっと続けていきたい。

仕事はずっと続けていきたい、その内容をより「好きなこと」に繋がることに変えていこうと思いました。

私の中には、学生時代少し志して諦めた、Webデザイナーへの憧れが色濃く残っていました。

Webデザイン楽しい!勉強楽しい!

なんとなく転職を考え始めた私のこころを決定づけたのは、素晴らしいスクール・講師との偶然の出会いでした。

何もかも未経験のまま転職する勇気もなかった私は、第一歩として社会人向けのWebデザインスクールを探していました。

検索上位に表示された体験スクールの内容が、安くて内容も良さそう、時間もちょうどよかったのでなんとなく参加。この行動が決定打になりました。

講義、めちゃくちゃ楽しい…。

講義内容のターゲットが明確で(ドンピシャだった)、内容の品質が高く、講師との相性が良かったのもありますが、とにかく自分の興味のある技術を勉強することがこんなに楽しいとは、と衝撃を受けました。

こんな楽しいことでお金も稼げるチャンスがあるのなら、年収が下がってでも挑戦したいとまで思うようになりました。

そして転職へ

そのスクールには半年ほど通い、一通り終わってポートフォリオを作ったところで、会社側にやめる意思を伝えました。人にはとても恵まれていたため申し訳無さはありましたが、迷いは全くありませんでした。

転職エージェントを使い、作戦を立て様々な会社を受けまくり、その中から何社かデザイン未経験にもかかわらず内定をもらうことが出来ました。

やりたいことを片っ端からやってみた

入社してしばらくは、とにかく業務でデザインの経験を積めることが嬉しくて、何をやってても楽しかったです。

また今まで忘れていたような、好きなことを日々やっていくと決めたので、色んなことに手を出しました。

やりたいこと1:同人活動

趣味でイラストや漫画を書くことも再開し、生まれて初めて同人活動で本を作ったりグッズをデザインすることにチャレンジしてみました。仕事で得たデザインに関する知識を使って趣味のクオリティを上げる、また逆に趣味でやってみた経験をデザイン作業に活かす、人生において生み出すものを相互作用でクオリティアップさせていくという試みをしばらく続けていました。

やりたいこと2:動画

Flash全盛期を経験し、昔からFlashやAfterEffectsによる動画、VJ映像、ボカロ曲のPVなどに憧れがあり、習得したいなぁと思っていました。

Flashは趣味でやっていたので、AfterEffectsなども使えるようになって動画コンテンツを作りたいと思い、何人か巻き込んでちょこちょこ勉強会を主催していました。

やりたいこと3:ゲーム

社会人になってから、ゲームをやり込む機会が減っていました。それまでの会社ではオタクを明言しておらず、ゲームからも遠ざかっていたのですが、ゲーム実況動画を見ることにハマり、自分でもしっかりやりこんで上手くなりたいと思うようになりました。

 

好きなことならモチベーション高く勉強できる、と意気込んでいた私。他にもやりたいこと・出来るようになりたいことが山のようにありました。

パッケージのデザイン、JavaScriptでのリッチなアニメーション表現、GIFアニメ、ドット絵、色々かじってみました。

 

「デザイナーだけどデザインできない」焦り

多少忙しい時期もありましたが、入社後しばらくは、機嫌よくデザイン業務を続けていました。

しかし入社後半年ほど経った頃、ある案件を任されたあたりから、少しずつサイクルが崩れ始めました。

あとは任せた!去っていく上司

前職ではディレクション業務をよくやっていたことから、新しい職場でも、デザイナーとしてというよりは、そちらの能力のほうが評価されているようでした。

そのため案件の進行役を任されることが増えてきます。何かを任せてもらえることは嬉しいのですが、デザイナーとしての経験を積みたいという意思を伝えた上で入社しており、またデザイナーとしての給料しかもらっていないため、少しずつ不満は募っていきました。

また、元来内向型の自分は、打合せや進行など人と積極的に関わる業務については、出来るけど極力やりたくない(精神的負担が大きいため)のですが、引き受けたからにはと必死でチームに働きかけていました。

その案件を任せてくれた上司は、その後間もなく会社自体を去っていき、相談しやすい人もいなくなります。

そんなに甘くない。パンクしました

長くなりましたが、ここからがようやく燃え尽き症候群に至る直接的な原因の話です。

結果的に自分で自分を追い込んでしまいました。

原因1:任された案件が長期化・責任が常に付きまとう状態

上司に任された案件、さくっと終わればよかったのですが、当初想定の2倍まで長期化します。社内案件のため通常業務が優先、また議論がまとまりきらないこともあり、検討の段階ですでに長期化してしまいました。実物を作るところもアサインのタイミングが合わず、デザイン&コーディングは私ともう一人が作ることになりました。

長期化によるメンバーのモチベーション低下、また私自身分担が下手だったため「案件を責任を持って進行する」役割が自分だけ・私がやらねば誰もやらない状態になってしまい、それが長期間プレッシャーとなっていました。

原因2:この案件をやってる間、他のデザイン案件が入ってこない

ながらくこの案件の進行をやっているせいで、半年間で携わったデザインは1件、しかも既存デザイン流用。その間、他のデザイナーはどんどん案件をこなしており、自分の実績が全く増えない状況に、常に焦りを感じていました。

原因3:色々な活動がさらに首を締める

仕事で、本業であるWebデザインのスキルが上がらないなら、プライベートを活用するしかありません。しかし仕事外の時間は、自分で手を広げたこと、趣味である同人活動の締め切りやら勉強会、ゲーム、果てはコンテスト応募用の動画作品を作ろうとしていたためカツカツです。何から手をつけていいやら途方に暮れてしまい、また出来ない自分に絶望し、逆に何も出来ない無気力な状態が続くようになってしまいました。

そのとき何が起こったか?

「あ、これやばいやつかも」と気づいたのは、なんとかデザインを作りレビューまでこぎつけ、修正をしている日でした。

「早く会社をやめたい」という思いに支配され、まともに業務ができませんでした。家に帰ってからは涙が止まらなくなり、でも何故涙が出てきているのかよくわからない状態でした。

経験則として、感情をずっと抑制する時期が続くと、ある日突然発散するためにこういう状態になったりします。涙を流しつつも客観的に自分を見ることができ、「ずっとこの状態をやめたかったんだな」と気づくことが出来ました。

涙を流しながら、少しでも気を紛らわせるためにTwitterのタイムラインを見ていたのですが、そのとき「燃え尽き症候群」の記事が流れてきて、直感的に「これかも」と思い調べるに至りました。

前回も引用しましたが、以下の記事のおかげで、だいぶ冷静に対処することができました。

middle-managerblog.com

どうやって落ち着くに至ったか?

軽度だったのと気づくのが早かったこともあり、医者に掛かることもなく、爆発してからは割りとすぐに落ち着きました。

  • まず、泣いて感情を発散することで一旦冷静になりました。
  • ネット上にある情報を見て症状を把握し、「今こういう考え方をするのは「燃え尽き症候群」の症状である」と理解でき、復活までの体験談などの情報を見たため、多少安心できました。
  • 無理せず休んで、よく寝ました。
  • 沢山手を出しすぎたことを一旦収束し、直近でやりたい・やるべきことに絞って勉強することにしました。(収束してる最中)

また再発する可能性もありますが、少しでも早く、主原因を断つよう立ち回ろうと思っています。

 

最後に

一言で言うと、ちょっと転職でテンション上がりすぎて、メーター見て無くてガソリン切れてるような状態です。

一旦燃え尽きちゃったものの、これからの長い人生、やっぱり好きなことはやり尽くしたい、クリエイターとして生きていけるようになりたい。

果ては、その好きなことで世の中の何かに貢献したい。

このブログも活用して自分をより深く理解し、少しずつでもいろんなことに挑戦していきたいと思っています。